俺を知ってるやつがいる

NANA―ナナ― 13 (りぼんマスコットコミックス)を読んでパラキスがアニメ化されることを知ったのですが,アニメよりむしろ舞台で見てみたいと心底思います.ムラセです.


最近マンガの話しかしていない気が.ついでなのでもっとしましょう.


道士郎でござる 6 (少年サンデーコミックス)

道士郎でござる 6 (少年サンデーコミックス)

道士郎でござる.今(僕的に)一番面白いマンガです.
真の主人公,健助殿の格好良さは最早常識なので説明する必要ないと思います.
僕が力説したいのはですね,先週のサンデー36号でおいらの直球ど真ん中体の芯から痺れるような格好良い台詞が出てきたことなのです.

(ダメだな、こりゃ。)
(冗談抜きの悪人だ。)
早乙女「なんで何も言わんの?」
道士郎「拙者、早乙女を知っておる。」



「拙者、早乙女を知っておる。」 


どきゅーん です.


話は少しずれるのですが,よく自身のクローンに記憶を移して『不老不死』とする思想があるじゃないですか? あれはつまり「自分のことを100 %理解している人間がいるならば死んでも構わない.」という思想だと思うのです.自分をすべて理解している人がいるならばその人に全てを託して死んでいける.こう言い換えることもできるのではないのでしょうか.
極端な意見ですが,数十%自分を理解している人がいればその人のために死にたいと僕は思うことでしょう.10 %以上誰かを理解している人間なんて世界に1人でもいるのか疑問ですが,もしそんな人がいたとしたら.それはきっと幸せなことでしょう.だって自分が死んでも自分のことを理解している人がいるのだから.「何かを遺したい」ということが生物の生命欲求だと仮定するならばこれほど幸せなことは無いでしょう.


かなり極端な意見を並べてしまいましたが,普段こんなことを考えている野郎にとって「拙者、早乙女を知っておる。」 という言葉がどれほどのウルトラ100パーセントヒットだったかご想像していただけるでしょうか? まさに ずきゅーん です.


作中で,早乙女愛くんはこの言葉で覚悟を決めます.そりゃあそうでしょう.「お前という人間は,与えられた責任を理解し,私情で動くことはなく己を殺し,しかし許せない悪に対しては,危険を顧みず立ち上がる男だ」ということを,そのことを,「事実として知っている」というのは.最大級の信頼の言葉だからです.これ以上ない言葉だからです.
これを聞いて立ち上がらない奴は男の子じゃありません.少なくとも少年漫画の登場人物じゃあありません. *1


今後の展開がますます楽しみな道士郎でござる.読んでない人は漫画喫茶とかにいって読んでみると良いと思うよ.

*1:え? 僕? 僕は5分5分くらいじゃないですかね? 良いんですよリスク計算の出来る大人なんだから.フィクションと現実を混同しちゃあいけません.